どうも、おのっちです!
初めてブログにいらした方は、「あなた誰?」って思う人もいると思うので、こちらをご覧ください
今日は、情熱は探すものではなく育むものであることについて記載します。
少し僕の話をします。
大学生の頃からずっと起業に憧れていました。
そのために人脈作りのために様々なサークルや異業種交流会に参加をしていました。
のべ人数として出会った人たちは2000人を超えていると思います。
まぁその人脈は一切生かすことができていません(笑)が、後悔はしてないです。
ただ、自分の中では収穫があって、それが自分が「この人魅力的だな」と感じた人は例外なく「情熱を持っている人たちだったのです。
「僕は海外で自分の建築技術を使って、大自然の中で心安らぐ家を作りたい」
とか
「80歳の高齢者になっても、一緒に学んだ仲間と一緒にお酒を飲んでいい人生だったと過去を振り返りたい」
とか
「子供たちが不安を抱えないよう、まだどこにもない施設を作りたい」
今思い出しても、自分も頑張ろう!と思えるようなそんな人たちでした。
しかし、いろいろな刺激を受けてきた僕は
「自分も情熱を持って仕事に取り組めるようになりたい!」
と考え、自分自身が情熱を注げるようなものを探していました。
しかし、数年経った今でも情熱を注げるようなものやことを見つけていません。
「なんで情熱を注げるものが見つからないのか。。。?」
と悩んでいました。
そんな時にある記事を読んで衝撃を受けた言葉が
情熱は探すものではなくて、育むものだ
でした。
そこで、今回の記事は情熱を育むことについて記載していきます。
なぜ、情熱を注げるものが見つからないのか?
結論は、自分探しの旅と同じで、旅行先にピッタリとした自分が見つからないのと同じです。
探しても見つからないものです。
見つけられた人は元々興味があったことを追求した結果、それが情熱になったのかもしれません。
「情熱を見つけるために、色々なことにチャレンジしています!」
と昔の僕は意気揚々とドヤ顔でこんなことを言っていました。
チャレンジすることはすごく良いことなのです。
でも、僕はなんか違うなと思ってすぐやめてしまう傾向がありました。
広告や営業に乗せられて買ってしまった健康器具の如く。。。
そりゃそうです。
そもそも僕は野球を中学校の頃に始めました。
最初は少し興味があるぐらいで毎日練習に参加していました。
しかし、次第に打てるようになってきたり、体力がついてくるようになると
少しづつ楽しくなってきました。
結果として、高校に入ることには「プロ野球選手になりたい!」夢まで持てるようになりました。
結局下手すぎたり、肩が弱かったり、実力がなさすぎたので、叶いませんでしたが。。。
それでも、3年間野球を続けることによって、自分の情熱を持てるものが知らないうちに野球になっていたわけです。
つまり、情熱は育むことができるのです。
情熱を育む方がいいと気づかせてくれた記事
とはいえ、ここ数年間色々なことにチャレンジしてきたはいいのですが、どれも情熱を注げなくて悩んでいた時に2つの記事を読んで「情熱を育むってそういうことか!」と腑に落ちました。
以下記事を紹介します。
Vol.21 情熱を注ぐモノの見つけ方と、「習慣」についての考察
筆者はそれぞれ違うのですが、共通点が一つありました。
それは興味を持ったことを続けていくことでした。
続けていくことで、面白いかどうか判断できるし、必要な知識をつけることもできる。
シンプルにまずは興味を持ったことを続けてみます。
僕が考える情熱を育むためのステップ
- 興味を持てる分野を探す。
- 見つけた対象を1日5分でもいいから始める
- 一ヶ月続けてみる
- 面白いと思ったらそのまま続けてみる
ここで重要なのは、続けられなくても悲観しなくて良いってことです。
僕なんて3日坊主→一週間休み→3日坊主で続いています笑
僕は続けられなかったから自分だめなんてことは考えてないです。
そもそも人の脳は怠け者だから。
情熱を見つけられなくても、少し興味があるっていうことはあるはずです。
それでも見つけられなかったら、無理やり興味を持つことです。
その方法が、得た情報に対して「なぜ?」と問いかけてみることです。
案外「あ、こんなことにも興味あったんだ!」って気づけます。
まとめ
僕自身、情熱を注げるものを育んでいる最中です。
中学校の野球部に入っていた時と同じように、興味があることを続けてみる。
それが大事。